Interview
「僕が知らない分野で仕事を取ってきてほしい」あんこの技術を持つ会社からの頼みごと
株式会社郡山製餡
東京から先へ広げる、あんこの売り先に。
あんこの技術を、新しい売り先へ
郡山市富久山町。食品工場が並ぶ一角にある株式会社郡山製餡は、あんこを炊いて、菓子屋やパン屋、製菓メーカーに卸している会社で、社長は佐藤裕文さんです。
佐藤さんが学生に渡したいのは、あんこの売り先です。まだ届いていない場所へ、この会社の技術を持っていってほしいと考えています。
ー学生に、どんなことをやってほしいですか。
佐藤「まず、うちの技術力を最大限に活かせるものを見つけてほしい。そういう力のある会社だと分かってもらったうえで、それを僕が知らない分野に持っていって、仕事を取ってくる。そこをお願いしたいんです」
ー社長ご自身は、どこまで回っているんですか。
佐藤「営業の人間はそれぞれの担当先を回っていて、東京から先はこれから広げたいところです。だから、新しい営業のやり方が作れるんじゃないかと思っていて」
佐藤さんが営業でいちばん知りたいのは、相手が何を求めていたのかです。
担当者が聞いてきた話がそのまま届けば、佐藤さんはその場でサンプルを作って持たせられます。実際、佐藤さんが商談会に出ると、こういうあんを作れないかと聞いてくる相手がいます。その場で答えられるかどうかで、話が先に進むかが決まります。
佐藤「こういうあんこを作ってくださいと言われたら、分かりましたと言って自分で作れる。その場である程度は答えられる。それがもう、僕の考えるあんこの最強の営業マンです」
あんみつ「and3」は、東京から広がった

この会社の名前は、あんみつで知られているかもしれません。and3(アンドスリー)は、透明なカップにあんこと寒天とフルーツが別々の袋で入っていて、食べる人が自分で合わせます。寒天には赤いハートがひとつ入っていて、売り場は九州から北海道まで広がりました。
始まりは東日本大震災のあとでした。郡山製餡が新しい売り先をつくるために手をつけたのが、40年売ってきたあんみつのリニューアルです。最初は、社内の感覚だけで形を考えていました。
動いたきっかけは、飲みの席で取引先から佐藤さんに言われた一言でした。あんみつのいまの形を、全部壊してみたらどうか。ちょうどそのころ、同級生が郡山に帰ってきてデザイン事務所を作っていました。佐藤さんは、遊びでいいからと言ってデザインを頼みます。
それがand3で、遊びのつもりのまま東京の商談会に置きました。
そこから、注文が動き出します。ふつうは地元で売れたものが外へ広がりますが、この商品は逆でした。関東の百貨店や食料品店に入り、そこから全国のバイヤーの目にとまります。
and3を置いてくれた東京のバイヤーからは、条件が付きました。白い紙のカップでは中身が見えないので、透明にしてほしい。佐藤さんがブルーボトルコーヒーで飲んだアイスコーヒーの容器を持ち帰って合わせてみると、寸法がぴったりでした。
ー赤いハートは、会長がゴリ押ししたと聞きました。
佐藤「安直というか、やりすぎなんじゃないの、とは言ったんですけど、入れてみっかみたいな感じで入れた。それがインスタで、思ったより効いたんですよね。
だから父親の言うことには、あんまり逆らわない方がいいなって。あんみつも40年やっていますから。こんなことをやろうと思ってると言ったら、そんなの昔やったことあるわと。ほぼほぼやり切ってるんですよ」
注文が一気に増え、作る体制を整えるまでに数年をかけました。次の一歩になったのは隣の土地で、同じ団地に空いた土地へ、あんみつ専用の第二工場ができたのが2023年3月です。
建てている途中で建材の値段が毎週のように変わり始め、佐藤さんは早めに仮契約を交わして、見積もりの値段で押さえました。
あんみつが広がると、それを食べた業者から今度は業務用のあんの注文が来るようになり、売り先が増えていきました。
業務用のあんは種類が多く、饅頭用、パン用、団子用に、砂糖を入れる前の生餡、ずんだ、みそ、くるみ、みたらし団子のタレまで並びます。常温で長くもつものもあります。
いちごのあんもあって、加熱すると色が黒くなるので、あん屋には一番作りにくいものです。郡山製餡は、その原料にしっかりお金をかけて作っています。
工場には豆を炊く大きな煮釜とあんを練る機械が並び、大きな圧力釜もあります。あんこを殺菌するレトルト装置ですが、あんこ以外も入れられるので、豚の角煮も作れます。
おでんも、カレーも、実際に作っていました。夏はあんこの仕事が落ち着く季節で、その時間で別の仕事ができないかと会長が考えたのが、40年ほど前のことです。
作れるものの幅がこれだけあるので、あなたが持ち込んだ注文を受けられるかどうかは、佐藤さんがその場で判断します。レシピを自分で組み、原価も自分で計算できるからです。
五つの製餡所が集まってできた会社
佐藤さんは1975年生まれで、実家は丸日佐藤製餡所という屋号で大正時代からあんこを作ってきました。1974年に県内の製餡所5社が集まって協業組合ができ、操業は1976年、株式会社になったのは2007年です。
大学を出たあと、家業を継ぐために愛知県の製餡所で2年修業し、1999年に入社しました。
郡山という土地への思いを聞くと、佐藤さんは自分を、人を支える経営者だと言います。そのうえで挙げた郡山の良さは三つで、人がのんびりしていること、細かいことを気にしないこと、新しい考え方を入れやすいことです。東京に近く、昔ながらの土地だからだといいます。
技術者の手を活かす経営

ー経営でいちばん大事にしていることは何ですか。
佐藤「従業員の手を余らせないことは意識しています。
現場の技術者の技術には自信を持っているので、その力をもっと活かしたい。もっと仕事を取ってくれば、もっといい仕事ができる技術を持っているんです」
手が空きそうなときは、何かしら手を動かす仕事を入れます。2025年からは、宮城の会社から玉こんにゃくの袋詰めを請けています。
続けるうちに、現場の生産は速くなりました。生産が早く終われば、空いた日ができます。そこに入れる仕事は、佐藤さんが外から取ってくることになります。
佐藤「今年で社長になって、もうすぐ10年です。技術的にはみんな成熟期で、何をやれと言っても大体自分らで考えてできちゃう。
ここからもう一段、ブレイクスルーするにはどうすっかな、と」
佐藤さんは商談会に、工場の人間を連れていきます。どうやって作るのかと聞かれれば、その人たちは全部答えられるからです。作り方まで話せる人が、あんこの注文を取ってきます。
ーまずは現場に入る、という形になりますか。
佐藤「一回は工場に入って、みんなと一緒に仕事を覚えてもらって。ある程度覚えたら、それを外に出て還元していく。
そうすると、こうした方がいいという世界が見えてくると思うんです」
30年前のおでんの復刻

いま準備しているのはおでんで、30年ほど前にこの会社が出していたものです。中身は当時のレシピをそのまま使います。佐藤さんが学生だったころ、実家から送られてきたのがこれでした。
佐藤「やっていることは30年前と変わらないですね。見せ方、出し方だけです」
あとは、どこへ持っていくかです。
東京から先へ広げる、あんこの売り先に、_ _ _ _を。
(2026年8月 取材 松井司)

